前から気になっていたことについて、フカボリして考えてみた。
「カヌレ」で検索しようとすると「まずい」が予測みたいなのでくっついて出てくる。スイーツなんて嗜好品なので人それぞれなのは当然なのだけど、「苦手」など柔らかい表現ではなく、敢えて「まずい」というキツイ表現なのが気になった。
ただ、考えてみたらそういう人の気持ちも分かる気がした。てことで、カヌレばっかり作っている自分なりのフカボリ考察を書いてみます。
好みは人それぞれ
まずわたしはカヌレづくりの記録をたくさん書いてはいるが、カヌレが好きというわけではない。何度カヌレをつくっても上達しないため、「なんで」という怒りを含んだ好奇心というか闘争心に火がついているだけ。そういう意味ではカヌレ好きではあるけれど、味について特別おいしいと思っていない。味の感想を敢えていうと”変化球”とか”変わり種”という感じだろうか。
「まずい」という人は何が気に入らないのだろう、と思って調べたところ、食感や苦み、甘ったるさなどが理由に挙げられていた。甘ったるいのはひとまず置いておいて、食感や苦みはカヌレの特徴なので、それがまずいならその人に合わないのだろう。嗜好品なんてそんなもの。
ただ、検索した際に「カヌレ」とセットで「まずい」が出てくるところを見ると、似たような感想を持つ人が多いということだ。ほかのスイーツではあまりない現象なのに、カヌレだけなぜこうなるのか?
それはカヌレが持ち上げられすぎたからだと思う。
一時の爆発的なブームは去ったので今は言う人も減っているだろう。今の段階はは”ちょっとおしゃれなスイーツ”として定着してるかな?
カヌレはこれまでのお菓子と違った食感が特徴で、「フランスの伝統菓子」という箔もついている。フランスの可愛いティーカップと一緒に、アフタヌーンティーに出てきそうな雰囲気がしませんか? あくまでわたしの妄想ですが。
カヌレは変化球的な焼き菓子
王道と並べたら?
そう、カヌレの人気の半分はイメージでできているのだ。味とか食感といった食べ物そのものの感覚は二の次。
過去に「カヌレは伝統菓子なのか?」というテーマで書いた記事にもちょっと触れているのだが、カヌレというのは一通りのお菓子が出そろった現代だからこそ注目されたのではないかと思っている。海外の評判は知らないので、日本限定の話。
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もし、洋菓子という文化を知らない人を連れてきて、カヌレと一緒にプリンやシュークリームを目の前に出されたらどれを選ぶだろう? わたしはカヌレが1番になることはないと思う。やはり王道にはかなわないんじゃないか。
家庭の味ではない
カヌレは原材料が卵、牛乳、砂糖、粉というシンプルなものなので、プリンやパウンドケーキ、ホットケーキ、マドレーヌ、シュークリームなどの、王道焼き菓子を連想させる。これらは洋菓子店の定番中の定番であり、多くはスーパーの生菓子コーナーでもよく見かける。ここにあるお菓子たちこそ、人が直観的に「おいしい」と思えるものだ。
だがカヌレは王道に見せてまったくそうではない。
わたしのカヌレ関連の記事にさんざん書いているが、誰もが家庭で気軽に作れるものではない。専用の型が必要で、それなりのスペックのオーブンが必要だ。
もちろん、専用の型ではなくともカヌレっぽく作ることはできるだろう。検証していないので断定はできないけど、ギザギザがあることで表面積を増やして熱効率を良くしているのかなと思っている。だからプリン型だとうまく作るのが難しい可能性はある。
プリン型でできたとして、あの形以外でカヌレと認められるだろうか? 自宅で消費する分には構わないが、人からもらったら「なんだこれ?」となる気がする。いくら「これはカヌレと同じレシピで型だけ違うんですよ」と言われたところで、「まあそうですけど(別モノでしょ)」としか思えない。カヌレはあの形だからこそ”カヌレ”ではないだろうか。もしパウンド型で作ってパウンドケーキと見た目が似ていると、パウンドケーキの方が無難でおいしいことがバレてしまう。
また、「オーブンの性能とか関係なくうまく作れる」という人もいるだろうが、少なくともここに1人、オーブンで苦労している人間がいる。これまでいろんなお菓子を作ってきて、下手でも及第点のお菓子を作ることができたのに、カヌレだけはできないのだから、難易度は高いと言えるだろう。
気軽でないものは、親しみが持てない。だからいつまでたっても未知の味(食感)のまま、気持ち悪さを感じる。
たとえば納豆なんてものはかなり変わった食べ物だが、日本人にとっては馴染みの伝統食であり、味も良いので多くの人が受け入れている。これが、令和になって突然できた食品なら、今ほど受け入れられないのではないか。
味について
アレがあるからカヌレ
「まずい」という人が挙げる「カヌレ表面の苦み」と「中の食感」というのは実はワンセットじゃないだろうか(さっき思いついた)。これから書くことはわたしの予想。検証してないので間違ってる部分もあるだろうけど、大筋こんな感じと思っている↓
カヌレ特有のモチモチ食感は、粉によるもの。牛乳と卵と粉をあの割合で入れて焼くと、モチモチした食感になるはず。ただし、それだけだと単に重くなっておいしくない。そこで卵の特性が役に立つ。卵は急激な温度上昇によって網目状の構造を作る。プリンで言うと「スが入る」状態で失敗とされているが、カヌレの場合はこれが成功。スが入ることで密度が低くなり、食べたときの重さが緩和される。
生地が基本的に柔らかいので、外をしっかり焼けなければ取り出せない。柔らかいなら容器のまま食べてもよさそうだが、それだとおいしくないし見た目も映えない。プリンでもなくケーキでもない新しい食感・見た目であれば、全く違う焼き菓子として成立する。
中身と同じ固さだと取り出した時に崩れるので、カラメル化かメイラード反応などで、焦げる直前のおいしいと思えるギリギリを狙って焼く必要があった。やってみたら、外はカリカリになって、中のモッチリと対照的で新しい食感。ということで、中のモチモチと外の焦げ直前のカリカリはワンセット。
こういった中と外の食感のコントラストを楽しむ食べ物はよくある。揚げたての厚揚げとかがんもどきとか、お菓子でいうと一番にミスドのポンデリングを思い出した。
カヌレの場合は砂糖のカラメル化も味に大きく影響しているため、食感だけでなく味覚のコントラストが大きいのがおもしろい。仕上げに砂糖をかけてバーナーであぶってパリパリにするクレームブリュレはそれと似た感覚。
過去記事で調べてみたところ、カヌレは偶然できたお菓子ではなさそうだ。一応、由来というものはあるが、原型はまったく別モノらしい。誰がどうやって目をつけたのか? 気になるところではあるが、原型を使って試行錯誤した結果生まれたもののようだ。
カヌレというスイーツが完成してから、「一度は世間に広まったが家庭からはすぐに姿を消した」という記載もあった。物珍しさはあるけれど、作るのはちょいめんどくさいし王道スイーツで十分おいしいから消えたのだろうと予想している。
当時の家庭からは姿を消したが、時を経て現代。普通では物足りないグルメな人々の需要と新しいスイーツを提供したい供給側がマッチした結果、カヌレが人気になった――
と読んでいる。
半生っぽい?
そうそう、どこかのサイトで「カヌレは半生だ」という人がいて興味深かった。カヌレは高温で1時間近く焼くので半生はありえない。しかし、そう思ってしまうのも無理はない。あのネットリモチモチは、半生の食感だからだ。
ちょうどこないだ、母が焼いたお好み焼きが半生で最悪だった。前にクッキーを焼いたときは厚すぎて生っぽく不評だった。そう、半生はまずいし食中毒の観点からいってもよろしくはないので、本能的に拒否してしまう食感かもしれない。
甘すぎる
これはわたしも一部賛成。でもって、同じ理由でマカロンも特に美味しとは思わない。ただマカロンもイメージを食べているので、たまに少しだけ紅茶やコーヒーと一緒にいただくと心が満ちる。スイーツは舌と胃を満足させる以外の効果があるので、それでいいのだ。
「一部賛成」と書いたのは、わたしが作るカヌレは”甘さ控えめ”だから。わたしの脳には”甘さセンサ”がついていて、一定量を摂取すると前頭葉(?)がモヤモヤして気分が悪くなる。外で買うカヌレはだいたいセンサの危険領域に達するところを見るに、相当の砂糖が入っているだろう。
しかし、これはある程度しかたない。砂糖の量が多いほど生地が安定し成功しやすいのだ。事実、わたしのカヌレの失敗率が高いのは砂糖が少ないせいでもある。少ないといっても味覚的には十分甘いのだが、焼いた際に形状や均一性を保つのが難しい。保存の観点からも砂糖が多い方が良い。
生地の安定より自分の好きな味を追求したいのでわたしは頑張っているが、商売でそこまでやる人は少ないのだろう。
マカロンは作ったことないので分からないが、こちらも砂糖を控えると上手にできないのかもしれない。
ところで、「甘すぎるから嫌い」という人は和菓子も嫌いなのだろうか。わたしにとってほとんどの和菓子は甘すぎる。好きだけどたまにでいいかな、というのはカヌレやマカロンと同じ。
【結論】特別おいしいものではない
持てはやされることへの反発
なんとなく作られたイメージで「おいしい」とか「オシャレ」だとか思っている人が多いお菓子。それを聞いて「そんなにおいしいの?」と思って食べた人が、「ウソやん! そんなにおいしくないけど?」となるのはある程度仕方ない。イメージに関係なく自分の五感のみで判断している人には通用しない。
それでも最初からひっそりと浸透していれば何事もないだろうが、メディア戦略とかで突如として現れた流行はウソが含まれ、それが過剰になると反発心が出てくる人が増える。
カヌレとかスイーツでなくとも、別分野でもこういうことはザラにある。わたしの場合、国民的アーティストや作家とか言われている人の作品を見て、まったく理解できない、なんてことは多々ある。
子どもの味覚は正直
わたしは余計な邪念のない子どもの味覚は信じている。苦みや酸味は避ける傾向にあるが、甘味が苦手な子は会ったことがない。ということで、たまにくる親戚の子の態度は貴重なサンプルでもある。淡々と食べるもの、ガツガツ食べるもの、あまり気が進まなそうなものなど、モノによって反応はさまざま。
過去、張り切って作ったお菓子が子どもには不評で悔しい思いをしたこともあるが、カヌレは「うまい」とバクバク食べていた。
その時のカヌレは普段使わない調整豆乳を使用したせいで、飛び出すわ柔らかすぎるわでカヌレ風の餅かと思うような無残な見た目で、完全に失敗だったのに。表面の焼き目も甘く、カヌレ特有の苦みが少なかったのが、子どもにとっては逆に良かったのかも? あと、わたしのカヌレは中途半端な「半生感」が少なく、より生のプリンのようなフルフル食感に近い。このことも功を奏した?
モニターである子どもたちというのが、乳製品アレルギーで普段から生菓子をほぼ口にしていないきょうだいなので、生菓子っぽいものへのあこがれが強いことも考えられる。
などと、いろいろとイレギュラーな条件ではあるけれど、多少参考になった。
カヌレは付加情報を食べるもの
「カヌレが好き」という人の中には、あの味や食感が純粋に好きという人もいるだろうが、わたしとしては9割がイメージ先行だと思っている。
たまに人にプレゼントすると(ほぼ女性)、多くが「カヌレって家で作れるの!?」と驚き、めちゃくちゃ喜んでくれる。それはやっぱりおしゃれだし、高尚なイメージもあるからだろう。
(そういえば、わたしもプレゼントする相手を選んでいた。あまりスイーツに興味のなさそうな80代の近所のおばあちゃんだったら、カヌレではなくケーキにするかも)
でもこれが近所のパン屋さんでクリームパンの横で売ってたらどうだろう。最初は食べるかもしれないが、そのうちクリームパンを買うようになるのでは(カスタードクリームの材料はカヌレと同じ、配合の割合が違うだけ)。あるいは、自分は食べないが、お客さん用として買うのはいいかも。お皿に盛ればいい感じに映えるからね。
実際、わたしが知っているパン屋でカヌレを置いているところがある。一応、大きな駅にはあるもののオシャレな雰囲気ではなく、映えるパンはない。サラリーマンとか主婦、おひとりさまが多く、スイーツ女子御用達とは程遠い。”the・地元”のパン屋よりオシャレかもしれないが、街の真ん中にある”ブーランジェリー”的パン屋ではない、みたいな。伝わるでしょうか。
そこにカヌレがちょこんとあって、ケーキ屋さんとかブーランジェリー的パン屋より安い。味も普通においしい。でも陳列棚を見てると「この並びにカヌレがあるのか……」となんだか不思議な気分になる。やっぱカヌレはイメージの占める割合が大きいよねえ、と。
<おまけ>
ちなみに昨日もカヌレを作りました。牛乳を沸騰させなくてもできるか検証中。
うちみたいにカヌレをタッパーに雑に放り込む人は少ないかもしれない。スイーツに疎い母にとって、カヌレというのはわたしの数あるお菓子レシピの1つでしかない。オシャレなイメージがゼロなので、スーパーのシュークリームを食べるように気軽にカヌレを食べるんだよね。別にいいけど。
家庭のお気軽カヌレ