おやつく日記(旧:おやつをつくるやつ)

ひまさえあえば、ていねいにくらす

カヌレ考 ~伝統菓子か現代菓子か~

 

 

数か月前に突然、”カヌレを作りたい欲”が沸いてきて、銅の型やミツロウなど買ってしまった。何も知らないまま道具を買ってからレシピを見たら、なんとシンプルな。これは余裕だろうと思っていたらそうは問屋が卸さなかった。

いま2日に1回のペースで作っているのだが、まだ成功したことがない。その「いらだち記録」は別の機会に書くことにして、カヌレについて調べているうちにいろんな思いが浮かんできたので今回は「カヌレ考」。

 

 

 

カヌレづくり初挑戦。難しいわホンマ

 

 

1990年代のブームでなぜ今リバイバル

1990年代にカヌレブームが来たことは、なんとなく覚えている。当時子どもだったわたしは、ナタデココやパンナコッタ、ティラミスといった新しいスイーツが毎年のように流行ったのを記憶している。流行に興味はないがスーパーで安売りの場合は買うという貧乏性の母は、缶ジュースに入っていて振ると固まるパンナコッタ、果物と一緒にシロップ漬けになったナタデココなどよく買ってきていた。

 

ティラミスは安くなかったのか、スーパーで売られていなかったのか、母は買ってこなかった。しかし、流行が落ち着いてきたころになるとマスカルポーネチーズが普通のスーパーでも売られ、割引シールが貼られていると買ってくるようになった。そのマスカルポーネにはエスプレッソソースが付いていて、やばいくらいおいしかった。今はもうないのが悲しい。

ティラミスはそのうちコンビニスイーツの定番にもなり、ケーキ屋やイタリア料理店でも普通に食すようになった。

 

このように流行に鈍感な我が家でもそれなりに食べていたのに、カヌレだけはなかった。見た目についてはテレビなどで見たのか知っていたが、その味は知らず、色からしてチョコ系のお菓子なのかなとぼんやり思っていた。当時、近所のパン屋にもあったような気がするものの、買ったことはない。

 

今考えると、上記に挙げた流行のお菓子の中で、カヌレだけは別枠だった。それは下記の点である。

素朴な見た目

溝がついていて上から見ると花が咲いたような形状は、今でこそシンプルで美しいと思えるが、1990年代のスイーツは味や見た目がもっと斬新なものが流行ったように思う。カヌレは形もさることながら色も黒く、地味に映ったかもしれない。

 

素朴な味

バニラビーンズの甘い香りやラム酒の芳醇な香りはぜいたくな風味ではあるが、材料はほぼプリンと一緒。もっというと、カスタードクリームと同じ。

カヌレの最大のポイントはその食感だが、やはり1990年代の派手で物珍しいお菓子ブームにおいては、少し時期が早すぎたのではないかと思う。お菓子のジャンルがほぼ100%出そろった今だからこそ、その特徴が際立っているように思う。

 

曖昧なカヌレの歴史

伝統菓子、しかもヨーロッパと聞くとテンションが上がるわたし。

その理由のひとつは、物語のあるお菓子(料理)であり、しかもヨーロッパの歴史というのに弱いこと。小さい頃からヨーロッパの歴史に憧れがあり、「マリー・アントワネットも食べたのかしら」なんて想像するとうっとりする。似たような人、ほかにもいると思う。

 

もう一つは、発祥を知ればそのお菓子について深く知ることができるから。

お菓子レシピがわたしのような一般人に届くのは、プロが作り込んだ後に料理研究家が作りやすくアレンジしてくれてから。つまりかなり改良されている。もちろんそれを参考にするのだが、発祥や背景、元祖レシピを知ることによって、代用できる材料がひらめいたり、逆にもっと本場の味に近づける努力もできる。

(ミツロウは本当に必要か? ラム酒やバニラビーンズは? というのも発祥を知れば「なるほどね。じゃあわたしはどうしようか」と考える材料になる)

 

そんなわけでさっそくカヌレの歴史についてネットで調べてみた。すると、カヌレ発祥の最有力候補は修道院でできたお菓子とのこと。以下、ウィキより拝借

 

フランスのボルドー地方伝統の菓子。フランスのボルドー女子修道院(フランス語版)で古くから作られていた菓子とする説がある。

ボルドーではワインの澱を取り除くコラージュ(清澄工程)で鶏卵の卵白を使用しており、大量の余った卵黄の利用法として考え出されたものという。

 

いいね、こういうエピソード好き。幼少期に映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見て以来、修道院というワードはわたしの心を震わせる。

 

ネットで調べる限り、99%がこの修道院説を唱えている。我らがNHKグレーテルのかまど」でもこの説。がしかし、諸説あるらしく他の説もなかなか興味深かった。

 

もっと詳しく知りたかったので、本で調べてみようと図書館や書店へと足を運んだ。しかし驚くべきことに資料がない。まあ、それほど熱心に調べたわけでもないので、もう少し頑張ればあったかもしれないのだが、「フランス伝統菓子」みたいな本にもないのはやはり不思議だった。

 

別の視点から、ブログサイトである情報を見つけた。以下、公式に近い情報として一般社団法人日本洋菓子協会連合会から拝借しよう。

 

20世紀の初めになると、カヌレボルドーの郷土菓子として認識され、以来今日までボルドー市のシンボルとなっています。“canelé”の名前は登録され、1985年には伝統的なカヌレを保存するために同業組合が組織されました。

 

地元でもカヌレが認識されたのは20世紀以降であり、同業組合は40年弱の歴史だという。正式に認知された歴史としては浅いらしい。ふーん……

 

ここで、「もしかしてカヌレって、まちおこしのためのB級グルメの発想でできたのかな」と思った。歴史が浅いのがその根拠の1つであり、その理由はほかにもある。

 

シンプルなようでコツがいるレシピ

カヌレの材料は卵、砂糖、牛乳、粉が基本であり、作り方もめちゃくちゃシンプル。しかし、寝かせる時間があったり、高温で一気に焼き上げるなど、ちょっとしたコツがいる。クッキーやクラッカー、簡単なケーキなど「混ぜて焼いたら、そこそこ成功する」お菓子とはちょっと違う。

 

そこで沸いた疑問。

「卵黄が余ったからといって、カヌレにする必要ある?」

卵黄を使うレシピはほかにもあるだろう。分かりやすい例は「卵黄多めの贅沢プリン」。しかしプリンだと保存期間が短いし、持ち運びもしづらい。そういった点から、粉が入った焼き菓子の方がよいと思ったのだろうか——などと考えていたら、修道院説の初期のカヌレは「棒状に作ったお菓子」という。今のプリン型に溝が入った形状とはずいぶん違うらしい。

 

棒状ということは、クッキーのようなものだろうか。それともパン? もしくはカヌレの特徴である「外はカリカリ、中はもっちり」のチュロスのようなものだったのだろうか。

 

よく分からないけれど、とにもかくにも誕生時の姿からはずいぶんとかけ離れていることは確かだ。

 

ここで現在のカヌレの特徴に戻ろう。

・基本は銅製のミゾがついたカヌレ専用の型を使う。

・生地は一晩寝かせる必要がある。

・高温で一気に焼き上げる。

 

型の代用はできるが、とにかく温度が大事だし地味に時間がかかる。そして味はプリンやカスタードと同じ。

 

あの焦げ具合や食感がよほど好きでもない限り、一般家庭で好んで作らないだろう。店で売るにしても、そこまでの手間をかけて売るだけのメリットはある? 同じ材料でもっと簡単な焼き菓子はあるだろう——。どう考えても、カヌレが世間に浸透する理由が見つからない。

 

と思ったら、先ほどのサイトにこんな記述も。

中産階級の食卓からカヌレは姿を消し、すっかり見捨てられたお菓子でした。

だろうね。

 

誰がカヌレを広めたのか?

この状況でカヌレが持ち上げられるとすれば、いわゆる「まちおこし」ではないか? と考えた。わたしはフランスの地元事情など知らないので、以下はthe・日本人的な思考で浮かんだ発想だ。

 

「ワイン以外に名物ないの?」

フランスは各地に伝統料理やお菓子がある中、ボルドーといえばワインのイメージしかない。「ワイン以外に名物ないのか」という話になったときに、パティシエか地元振興会の人(笑)が「そういえば、カヌレというのがあるらしい」とどこかで聞きつける。その時点でどんな形だったのかは謎だが、ワインや修道院など地元の歴史と関連したお菓子となりゃ、使わない手はない。

 

まさに日本のB級グルメ、あるいはご当地グルメ的な発想だ。

いまやご当地グルメとして浸透している名物も、10年、20年前の地元民は「知らない」なんてこともザラにある。

 

わたしは他県で暮らしていた時に、地元である神戸に「神戸ラーメン」があるというのを当時の他県民から初めて聞かされ、「知らないの?」とバカにされたことがある。十数年住んだが神戸ラーメンなんざ聞いたことないわ。「もっこす」しか知らんわ。ド真ん中の地元民を鼻で笑うとはいい度胸しとるやないかい、バカはオマエだっ。とムカつきながら、「へええそうなんですか」と大人な対応をした懐かしい思い出。

(今思えば「第一旭」のことだったかもしれない。でも「神戸ラーメン」は店名に入ってるだけでカテゴリではない)

 

 

こういう視点で見ると、カヌレの正式名称が「カヌレ・ド・ボルドー」と地名を入れているところに、ちょっと大人の事情というか、いやらしさを感じたりもする。

 

未知の食感

ありきたりな材料だが、道具と適切な温度管理によって、あの独特の食感が生まれる。めんどくさいので一般家庭や修道院では浸透しなかったが、パティシエにしたら「もうお菓子レシピは出尽くしたと思われたが、ここにあったじゃないか!」みたいなブレイクスルーもあったかもしれない。

「えー作るの面倒だよ」

なんて人もいただろうが、

「でもこの食感は唯一無二。必ず町の名物になる!」

と先見の目がある人が持ち上げたのかも、なんて想像もする。

 

物語性があるようで薄い

だいたい、あのお菓子を型も一緒にレシピとして完成させるには、それなりの努力が必要だろう。プリンに小麦粉を入れて普通に焼いただけでは中途半端だし、一歩間違えれば焦げて失敗しそうなもの。

 

わたしは数十年前のヨーロッパの家庭料理のような本を持っているのだが、その中に聞いたこともないお菓子のレシピが載っている。レシピを見たかんじ、家にある果物やドライフルーツを使った手軽なもので、レシピの名称は考案した少女の名前。詳細なエピソードが書かれていたわけではないが、素朴な材料と手順を見て、少女が作ったというのはすぐ納得できた。

グレーテルのかまど」で見たスペインのクッキー「ポルポロン」も、「これは地元に根付いているだろう」というのが感覚で分かった。

カヌレの発祥物語は「そう発表されているのなら、そうなんでしょうね」という、ちょっとスッキリしない感じが残る。これは感覚としかいいようがないのだけれど。

 

また、フランス菓子のどの本を見てもカヌレが載っていなかったところをみると、まだ確立していないのだろうなと思った。ネット上では修道院が云々などそれらしい物語がこれでもかというほど載っているのに。本というのはそれなりの人が責任を持って出版されるので、本に記載がないのはわたしの中で大きい。こういう話って、参考文献とかありそうなものだが、言及しているサイトにもまだ出会ってない。比較的しっかり検証しているブログでは、修道院説を疑っているようだったし。

 

※後で見たらウィキに参考文献があった。また機会があれば探してみようかなとは思う。ただ本そのものの評価は別として、カヌレの歴史について深堀はそんなにしていないのでは? という印象。

 

伝統菓子とは何ぞや

カヌレは粉と卵と砂糖、それっぽい型があれば作ることができるので、時期や場所が違っていても、どこかで作られた可能性はある。たとえ修道院が本当の発祥だとしても、そういうお菓子があると知らない他地域の人が後年作ることも考えられる。

 

そこで「伝統菓子とは何だろう?」と思った。

食文化とは、その土地の歴史や気候、農作物によって形成されるものだ。一方で文化にならずとも、誰もが手に入る材料ならば、いつかの時代に誰かがどこかで新しいレシピを意図せずとも生み出しているはず。プリンを作ろうとして間違って粉を入れてしまったとか、一晩おいた生地を焼いたとか、料理というものは思わぬハプニングでできるものだから。

 

失敗から生まれたパイはいい例だ。手軽でおいしければ人から人へと伝わり文化として浸透し、そうでなければ人知れず消えていく。自然に浸透したり時代背景があって根付いたものが伝統菓子ではないのか。

カヌレは見た目も違えば、浸透もしていない。ただ有名修道院と関連がありそうだから、伝統菓子っぽい雰囲気をしているけれど、当初と見た目も全く違うみたいだし、通常言われている伝統菓子とは違うような気がする。

 

などなど考えた。ま、おいしければなんでもいいのだけれど。

 

現代だからこそ広がったお菓子?

地元で消費するだけでは浸透しなかったはずのお菓子は、国内外に発信することで、各段に価値があがった。

 

あたりを見回せばグルメ三昧の昨今。

「新感覚」「新食感」などという言葉があると人は飛びつく。そんな中で、シンプルでおいしく、唯一無二の食感が味わえるカヌレは恰好のスイーツだった。

レシピを完成させ、専用の道具ができるまでは大変だけれど、それさえできればこっちのもの。焼き菓子なので日持ちもするし贈答品にもぴったり。マドレーヌやクッキーと並ぶ新定番として定着していくのだろう。クッキーと比べるとめんどくさいけどね。

 

どうでもいいけどカヌレ好き

何回作っても失敗するため、「こんなのが伝統菓子なわけあるか!」とムカついたのがきっかけで、色々調べまくっているうちに今回の考察が浮かんできた。

※ただし全てわたしの妄想……ではなく仮説だ。

 

今回の考察で、伝統菓子というキャッチコピーには違和感が沸いたのは事実。しかし最近、お菓子作りも飽きてきていたわたしを楽しませてくれるカヌレ。それだけで出会った価値があった。何より味・食感含めプリンよりシュークリームよりも好き。カヌレづくりをモノにできたら、プレゼントに絶対喜ばれる、というのも意欲をかきたてる。

カヌレ、存在してくれてありがとう。そして、なんだかんだ言って掘り起こしてくれた関係者にも感謝して締めくくろう。

 

 

さて、実はカヌレについてはもっと書きたいことがある。作っても作っても失敗するので躍起になっており、その実験を繰り返す中でまた色々思いついた。ついでに家庭用オーブンについてめっちゃ物申したいこともある。それらはまた別の機会に。

 

 

 

全てをひっくり返す別の説

全部書き終わった後で、先のサイトで驚きの説を見つけた。いまさら。

一方で、本当のところはリムーザン地方のスペシャリテ、canoleに近く、これが17世紀にボルドーにもたらされたとする説もあります。かなりの量が消費され、このお菓子だけを作る同業組合もあったのだそうです。

え!?

「17世紀に組合があった」っていう記述は事実でないと書けないのでは? なんだかこっちの説の方が信ぴょう性が高いような気がするのだが……なぜ一般的な有力説がボルドーになっているのか。突っ込んではいけないところなのか。

詳しい歴史なんて書くとウソがバレるから、とりあえず既成事実をつくってそれらしい歴史の雰囲気で固めたかのようだ。だってどのサイトも修道院説しか書いていないのに、おそらく国内業界でも有数の組織が「本当のところは」って書く意味ですよ。「勝てば官軍」はお菓子業界でも同じなのか。怖。

そうなると、今の書籍には書かれていないことも納得がいく、今はね。真実は闇の中だけれど、わたしの中では確信に変わった。

 

これを見つけた今、わたしのカヌレ考などもはやどうでもいいのだが、せっかく書いたので残しとこ。