わたしにとってお菓子作りは生活の中にあるもの。
前回の記事でも少し書いたが、「小腹が空いたからラーメンでも食べようか」と同じレベルで「甘いものが食べたいからクッキー作るか」くらいの気軽さが好きだ。
「今日はお菓子を作るぞ!」と張り切るものではなく、ぱぱっとやっちゃうもの。そこで思いついたのは、「わたしが目指したいのは平野レミさんのお菓子版かも」ということ。そのココロについて書いてみます。
お菓子作りをする人とは?
まずお菓子作りをする人にも様々なレベルがある。パティシエやカフェ店員、料理研究家など仕事としてやっている人、あとは趣味でやっている人。
前者はいわずもがなプロ。毎日、それなりの数のお菓子を作り、レシピの精度もレベルの差はあれど高い。カフェによってはわたしも作れそうだか、仕事として毎日やっている方が必然的にレベルが上がるだろう。
この人たちに共通しているのはいつでも「完成されたレシピ」で作っているということ。研究家はゼロから作ることもあるが、レシピとしてはほぼ完成されたものが提供されている。
趣味の中でもまた人それぞれ。
日曜大工ならぬ日曜(月末)パティシエから、わたしのように仕事としてはやっていないけれど、マニアックなことをやってる人もいるだろう。
インスタなど見ていると、趣味の範囲を越えて完成度が高くて感心することも多い。
わたしの歴も長い方だが、”映える”お菓子はあまり作ったことがない。好みのジャンルが違うということもあるだろうけどね。
映えるお菓子を作っている人たちは、何をしている人たちなのだろう? もし収益化などしているなら仕事だが、一般人だとしたら家族が多いとか、友達付き合いが盛んなのだろうか。ホームパーティが多いとか?
消費量が少ない我が家
わたしの場合は、母と二人暮らしなので家庭内の消費量は少なく、ご近所さんやたまに会う友達などにプレゼントするくらい。
需要があるならもっと作りたいのだが、余っても困るし自分が食べるのは飽きてきたというのもあって、頻度が下がってきている。
いまはカヌレがあるから2日に1回ペースと多めだが、ここ1年は1週間に1回あるかないかくらいだった。
店でもやろうかと考えたこともあった。しかし週1~3回程度でちょこっと作る程度がいい。その上、飽きっぽい。この状態で初期投資をかけられないため、行動に移す予定は今のところない。
何でもかんでものめり込むタイプのわたしは、お菓子作りも例外ではない。基本を押さえる程度には熟練しているため、あとは適当にアレンジしている。砂糖や粉の種類を変えてみるといったシンプルなところから、具材を入れてみる、形を変えてみる、練り込む素材を変えてみる、など大幅なレシピ変更がない程度にやっている。
(そういえば、飽きっぽくて何も続かないわたしが一番続けているのはお菓子作りだ。途中10年以上のブランクはあるけども;)
わたしのスタンス
お菓子作りが好きな普通の人
過去記事は作ったお菓子とちょっとしたポイントだけ書いていたのが、今回はじめて、カヌレという1つのお菓子にこだわって実験を続けている。
記録代わりに記事に残しているが、これを読んで得する人いるのか、我ながら疑問てはある。実験とか研究とか言っている割に、条件の設定などが雑なのだ。
自分用の記録とはいえ、読んでくれる人に申し訳ないとも思う。でも、やっぱりできないなと思った。
それはわたしが、「お菓子研究家」ではなく「お菓子作りが好きな普通の人」だからだ。
※めんどくさいので今後”お菓子研究家”と自称することもあるかもしれないが、真の意味ではないということです。
研究家じゃない
そこで、いつかの記事にも登場いただいた平野レミさんを思い出した。たぶん、彼女の台詞だったと思うのだが「わたしは料理家であって料理研究家ではない」という言葉が好きだ。
わたしの勝手な解釈で、なんとなく「研究家」というと日々の生活から切り離されるイメージがある。
たとえば、いま実験を重ねているカヌレ。真面目に研究するのであれば、すべての条件をそろえた上で、特定の値のみ変えていくべきだ。
でもわたしの「カヌレ日記」は、毎回微妙に違うことをしている。前回の記事で書いたことを簡単に覆してしまったりするし、記録にするほどでもないちょっとしたテクニックや手順も、その時々で少しずつ違う。本当はちゃんとした方がいいことも分かっている。でもできない。
それはわたしが、毎回1話完結のごとく「お菓子作り」を楽しんでいるから。
家庭のお菓子に失敗はない
わたしにとってカヌレづくりは、いつかくる成功の日のためにやっているんじゃない。そりゃ、カリカリ感がないとか、形が悪いといったマイナスポイントはある。でもだからといって食べられないわけではない。味だけなら十分おいしい。
一般的なカヌレと比較して「失敗」だとしても、ただのお菓子としては生焼けとか焦げたとか、明らかに味が変である以外は真の意味で失敗などあり得ない。
本物のカヌレを知らない母は、フニャフニャでプリンみたいなわたしのカヌレを「おいしい」と言って食べていたのだから。
完成品を目指すのは「これがカヌレというものです」と、人に売ったりプレゼントする場合だろう。人々が想像しやすいように名前がついているだけだから、本来であれば別に気にすることはないのだ。
ただ、人が食べたり見たりしたときに「こんなのカヌレじゃない」と言われるとマズイので、世間一般のカヌレを目指すだけのこと。
開き直ろうと思えばわたしのフニャフニャカヌレを「ハンディプリン」と名付けてもいい。初めて作った時に「これは持ち運べるプリンだな」と思ったもの。名前など概念にすぎない。
毎回アレンジしてるだけ
失敗がないということは、毎度毎度がアレンジの日々ということ。途中で飛び出したのもカヌレ、飛び出さずにできたのもカヌレ。柔らかくてもカヌレ。わたしにとっては全てがカヌレ。家で作るのは、それでいいんじゃない?
チャーハンを作る時に卵をごはんと絡めてから炒めるか、ごはんと別で炒めてから入れるか。前者の方がパラパラ感はあるけど、後者も悪くない。
今回はしょう油を入れてみた、次は塩だけにしてみた。しょう油と塩だけでは、火加減ちょっと変えた方が食感もよくなるかもね。でもどっちもチャーハンだよね。
くらいに思う。
特別なものは買わない
以上のことを踏まえてわたしが一番大切にしていること、それは「生活の一部にあるお菓子作り」。
お菓子研究家とは名乗れない、ただのお菓子作りが好きな人って中途半端かもしれない。
でもわたしにとってのお菓子づくりとは、特別感は薄いけれど、簡単な中で最大限の贅沢ができるもの。甘いものが食べたいけど、市販のクッキーを買うより自分の手作りがいいわ、という感じ。家庭料理と一緒。
だから作る時は、できるだけ自分の生活に則したものがいい。
例えば、普段の料理に使わないサワークリームとか、バニラビーンズなどはあまり使いたくない。もっというと、バニラオイルは比較的手に入りやすいけど、究極いえばバニラの香りなくても十分なので省くことも多い。
生クリームは普段の料理で使わなくても、必須のお菓子が多いし、近所のスーパーで手に入るからOK。クリームチーズも料理では使わないけど、チーズケーキでは必須だし、これも手に入りやすいからOK。
など、わたし独自の基準がある。
庶民派のレシピ本のようで、絶対に専門店でしか売っていない材料を使っていることもあるので、そういうのはまず買わない。1つのお菓子にしか使えなくて、ほとんど捨てることになってしまうこともあるので、代用品を考えるか、省けそうなものは省くに限る。
この代表例は「ブルーポピーシード」。レモンケーキの組み合わせでは定番中の定番である、ゴマより小さい種子。
しかしレモンケーキ以外で以外で使っているのを見たことがない(レモンクッキーはあったかな? )。 結果、9割以上捨ててしまった。
今考えれば、ごはんに混ぜて炊くとか、サラダに入れることもできたのかもしれない。
チョコ菓子でいうと「プラリネ」というのもある。よく聞く名前だけど、絶対ほかで使わないのが分かっているので、いままで買ったことがない。
その中でも自分の好みとして、例外はたくさんある。
抹茶は好きなので常備しており、特に好きなお茶屋さんがあるのでそこで高級なのを使ってる。一方で切らしたときは、家の粉茶で代用することもある。
あとはナッツもキロ買いで数種類常備しているので、レシピにはくるみ1種類しか書いてない場合でも、4種類入れたりして。
わたしのお菓子作りは、家庭料理とまったく同じ考え方。野菜炒めのレシピで、まったく同じ野菜を買いそろえずとも、旬の野菜をつかうものだろう。
毎日、レシピ本を見て忠実に再現する主婦なんてあまりいないはず。お菓子もその考えで作りたいということ。
そこで、上でも書いた平野レミさんに再登場いただこう。
だいぶ前、おもしろい人なので一時期ハマったのだが、料理レシピはあまり好きではなかった。
「食べたらコロッケ」とかクリスマスディナーとか、見た目にも美しいとはいえず、作っている過程もなんだか食べ物を粗末にしているようで嫌だなと思っていた。
ただ、わたしも過去に「食べたらブルーチーズケーキ」を作った。あれは自分なりに理にかなっているつもり。
そしたら、平野レミさんの気持ちが分かった気がした。そもそも「わたしは料理研究家ではなく料理家」といっており、わたしと近いはず。そしてあのレシピ。
となると、家の中であるものや、そのときのヒラメキで出来上がったアイデアレシピだったのだろう。
「コロッケつくるのめんどくさいな……。でもあの味が食べたい。そうだ!」みたいな感じかな。
それをちゃんとした料理番組でやったのに無理があっただけ。平野レミさんがやるからこそ番組になったけれど、ほかの人ならアウトでしょう。全て含めて演出だったのだろうと、今やっと思えた。
平野レミさんのレシピで大事なのは「その心」だと思う。
自分の家という場で出来上がったアイデア料理は、そこでは評判だったと思う。ただ番組には合ってなかった。
そう思うと、当時から引っかかっていたことが消えた。わたしも似たようなものだし、「料理家」と自らを称した理由はこれだったのだろう。NHKもそこが分かる作りにしてくれたらよかったのに。
さいごに
とくに目的もなく始めたブログだが、もし読んでほしい人がいるとすれば、お菓子作りのハードルが高いと思っている人が、手軽に始めるきっかけになればいいなと思う。
手軽とかいいつつ、わたしの場合は凝り性なのでやりすぎなところもある。ただ、セオリー通りでなくても、選択肢はいくらでもあるし、いくらでも自分仕様にカスタマイズできる、ってことが言いたい。
いまはお菓子メインだけど、料理も我流のアレンジしまくっているし、発酵食品も作っている。庭の野草やハーブでお茶や化粧水も作る。そして掃除はナチュラルクリーニング。
などなど生活全般で独自のこだわりがある。
研究家というのを避けるなら、ただの「生活している人」だろうか。あまりにも一般的すぎるので、「自然派生活人」とでも名乗ろうか。つまり自然が好きでちょっとだけ拘りの強い、普通の人ということです。
もっとたくさん、幅広いことを発信したいと常に思っているのに、全然追い付かない。はてぶのレイアウトもカスタマイズしたいけど、めんどくさい。ま、いいや。
次回は、レシピ本の見方についてポイントを書こうかなと思います。