おやつく日記(旧:おやつをつくるやつ)

ひまさえあえば、ていねいにくらす

おやつづくりは日常の延長に

 

おやつを作ることはなにも特別なことじゃない。日常の延長で、日々の食事をつくるようにささっと作るもの。

 

 

 

 

お菓子づくりのイメージ


女子力高い?

 

最近は昔ほどではないかもしれないが、かつてお菓子づくりというと「女子力高い」とよく言われたものだった。

 

「女子力」は母や妻、恋人となったときのことを想定したものだろう。お菓子でなくても料理上手だって女子力のポイントのひとつだが、必ずしも必要でなく、しかも見た目も可愛らしいものが多いので、お菓子の方がポイントが高いのだろう。

 

わたしがお菓子作りを始めたきっかけは、子ども向けレシピ本をもらったことだった。普通の食事づくりは母の仕事だったため、その代わりにお菓子という楽しい遊びを探求した。しかも上手にできたらみんな喜んでくれる。

 

わたしの場合はお菓子がハマっただけで、創作という意味においては陶芸とか彫刻とか、一見色気がないようなものも動機は一緒だろうと思う。

 

お菓子というものが入ってきた時代

 

これはわたしの勝手な予想。

 

戦後、GHQ西洋文化を広めるため食文化も一気に変わっていった。海外勢としてはアメリカやヨーロッパのお菓子を取り入れるとともに、そこに使われる食材も広めたい。ということで主婦向けの雑誌を創刊。新しいものに敏感でみんなに広めたいという熱心な主婦たちによって、教室などを開催する会もできた。そこで専業主婦を中心にお菓子やパン作りが一気に浸透していった――みたいな流れではないか。

 

その考えに至った根拠のひとつは、うちの母が若い頃にパンやお菓子をよく作っていたということ。

 

母は本来めんどくさがり。手間がかかることはしたがらない性格なのに、近所の主婦仲間に誘われて、しぶしぶそういうのに参加していたらしい。いまのわたしが持っているよりもはるかにたくさんの製菓器具があって、今思えば不思議だった。

 

研究熱心でもないのにここまでそろえるということは、周りの同じ世代の主婦たちの間で流行だったに違いない。と考えたのだった。

 

(その会で味噌づくりも習い、それはいまだにやっているので「嫌々でもやる価値はあった」たのこと)

 

ここまで戦後を中心に書いていたけれど、後で調べたらこんなサイトを見つけた。

 

gateaux.or.jp

 

そういえば鎖国時代にポルトガルからカステラが入って来たんだっけ。

ただ、この時代のお菓子は特権階級のものであり、庶民とは無縁の時代なので「お菓子づくり」なんて概念もなかっただろう。

 

 

当時のレシピは本格的

 

わたしが子どもの頃は今のようなお手軽レシピはなかった。それどころかどれも本格的なものしかなかった。当時の子ども向けレシピ本でさえ今の大人向けのお菓子レシピより難しい場合もある(基礎から丁寧に教えてくれるというだけで、レベルは高かった)。

 

なぜそんなに本格的かというと、いままでなかったところに完成したものが急に入ってきたからではないかと思う。

 

生クリームたっぷりのケーキなんて江戸時代にはなかったはず。それが突然、黒船の来航のようにきたのだから初めて食べた人はさぞかし驚いたことだろう。

 

現代に生きるわたしにとってはおいしいけれど、カロリーたっぷりで濃厚なケーキは果たして当時の日本人にとっておいしかったのだろうか? その辺が気になる。

 

そのような「完成された」お菓子たちが突然輸入されてきた。

 

世界のお菓子づくりの歴史において先に発明されたのはクッキーなどシンプルな焼き菓子が先だろうし、国内に入ってきたのもそれらが先には違いない。

 

ただ、「お菓子づくり」の歴史が始まる時点で、生クリームなどを使う生菓子もほぼ同時に輸入されいる。

 

しかも洋菓子を作るには材料だけでなく器具もいる。もうそれだけでめんどくさい。

 

もともと日本にはなかったもので、徐々に浸透したものでもない。そして、材料も道具もまったく馴染みのないものが「お菓子づくり」だった。だから障壁が高かったのではないだろうか。

 

いまのお菓子作り

 

なんでもかんでも自分の”モノ”にしてしまう器用な日本人は、お菓子もあっという間に取り込んだ。今や抹茶を代表とする和風食材をかけ合わせたり、独自の創造性を活かして世界で勝負できるほどになっている。

 

王道の西洋菓子技術の進化とともに、家でできる素朴な「おやつ」も進化した。

 

わたしが知る代表選手はバター不使用のお菓子づくりでお世話になっている「なかしましほ」さん。

 

菜種油にきび砂糖、おからに抹茶、など比較的身近で日本に馴染んだ食材を用い、しかも簡単に作れる。お菓子業界について詳しくないけれど、これは大革命だったのではないだろうか。

 

ついでにクックパッドでは一般の主婦がアイデア料理を披露するように。既製品を利用したりレンジを活用したアイデアレシピも豊富になった。

 

わたしの場合

10数年のブランクはあるが、子どものころから続けてきてウン十年。アラフォーの今になってわたしにとってお菓子作りというのは、「お腹空いたからラーメン作ろう」くらいの手軽さで「甘いの食べたいからお菓子つくろう」という気軽なもの。

 

本屋が好きでしょっちゅう行くついでにレシピ本コーナーに行ったするんだけれど、最近思うのは「なんか凝ったお菓子が多いな……」ということ。パティシエなど専門でガッツリやる人以外、買っても続かないのではないだろうか。

 

もちろんお菓子の本はみるだけで楽しいし、できるものなら作ってみたい。でも今のわたしはいいかな。

 

それよりも、バターやチーズの箱に書いてあるシンプルなレシピで、家にあるような材料を使って気負うことなくやれる方がいい。そこで「クルミが余ってたから入れよう」「抹茶があったはず」と分量を少しだけアレンジするとあら不思議、新レシピの出来上がり。

 

これが生活の一部にある「おやつ」だと思う。

 

もちろんこの境地に至るまであらゆるレシピを試し、聞いたこともないような材料を買い求めたりしてきた歴史もある。でもわたしの時代だからそうしていただけであって、いまならゼロからはじめてもお手軽にやっているような気がする。

 

お菓子の歴史

 

日本古来のおやつ

 

洋菓子はそんな感じだけれど、日本にもお菓子はあったはず。でも和菓子とか砂糖とかは高級品だったのでは? と思って調べるとちょっとしたヒントがあった。

 

www.wagashi.or.jp

 

こちらのサイトでは、「古代の菓子」「日本最古の加工品」、鎌倉時代に茶が伝わってきて以降広がった和菓子の話などについて書かれており、やはりいつの時代も甘みや砂糖は高級品だったらしい。

 

これを読むに、日本の伝統と思われている和菓子の歴史すら江戸時代以降と短い。時代劇などを見て城下町では団子屋などがあるのを当たり前のように見ていたが、あそこまで一般的だったのだろうか? また地方や田舎ではまだまだ手が届かなかったのではないだろうか。

 

結局、長きに渡って庶民の間でおやつというのは、「お菓子」という加工品ではなくご飯の簡単バージョンだったり、木の実や果物だったのだろう。

 

和菓子も洋菓子も、いまのわたしたちが「お菓子」「おやつ」と思っているもののほとんどは、文明とともに広がった現代ならではのものなのだ。

 

 

西洋での起源は?

※ここの話はネットでちょこっと調べた程度

 

本家本元の洋菓子はヨーロッパのルネサンス時代に発展したそう。しかしヨーロッパでもやはり甘味は高級品であり庶民には手がでないもの。洗練されたお菓子職人を連れた王族のものだったらしい。

 

たしかに、普段の食事で補いきれないものを補給するという栄養学的な意味において、ショートケーキみたいな凝ったものはまったく意味がない。自然発生するわけがないのだ。

 

ついでに新大陸発見によって現地から持って帰ってきたチョコレートや砂糖、コーヒーなどお菓子や嗜好品がお菓子文化に拍車をかける。いまの素晴らしい洋菓子の文化の陰に侵略の歴史あり、ということを知ってちょっと複雑。

 

サトウキビの栽培によって安定供給できるようになったため庶民にも広まっていったとのことで、それが17世紀。

 

西洋の庶民にとっても想像していたほど歴史は長くないらしい。

 

 

和菓子と洋菓子の歴史を少し調べただけだが、驚いたことに国内だけでなく海外でも、いまのわたしたちが「お菓子」「おやつ」と思っているもののほとんどは、文明とともに広がった現代ならではのものなのだ

 

現代版「おやつ」づくりの提案

 

ささやかな娯楽×生活

人間の自然な営みにおいてお菓子づくりは不要だ。

 

ただしそれを言い出すとお菓子に限ったことではないし、だからといっていまのわたしたちに不要というわけではない。

 

きれいな食器があって、美しいカーテンがかかったキッチンでコーヒーと一緒に食べるケーキは人の心を豊かにする。それを一般庶民が味わえる今という時代は素晴らしい。

 

一方で最近は資本主義の限界が叫ばれている。そして、「限界がきているから見直そう」という大義名分を掲げることなく、自然と原点回帰を好む人が増え、1次産業に興味を持つ若者が増えたり、手仕事の良さが見直されるようになっている。

 

お菓子作りもその流れとは無関係ではない。

 

豪華な芸術品のようなものではなく、かといって果物をそのまま食べるだけでは飽きてしまう。その中間をとった、日々のごはんのようなお菓子たち。まさになかしましほさんの本のタイトル「ごはんのように毎日食べたい―」くらいの気軽さがいい。(毎日はいらないけど)

 

なかしましほさんが「おやつ」を気軽なものと定義していることにすごく同意。

 

お菓子は洋菓子店で売っているような完成品を想定しがちだ。スコーンとかシンプルなクッキーだとしても、形状がそろっていて見た目にも美しい印象がある。

 

だから自分でつくるには面倒で美しい「お菓子」は外で買って、なんか気分転換においしいものが食べたいときの「おやつ」は家でつくろう。みたいなのが何となくある。

 

(研究のために凝ったものを作りたくなるときもごくたまにある)

 

ということで、わたしは

 

  • お菓子・・・外に出しても恥ずかしくない完成されたもの
  • おやつ・・・自宅で家族のみか親しいご近所さん程度までで楽しむ気軽なもの

 

と定義している。

 

簡単な基礎を押さえてあとは適当に

 

おやつであれば立派な器具をそろえずとも、家にある調理器具でも工夫すればなんとかなる。

 

わたしは未だに泡だて器は手動だし、粉ふるいは目が細かいザルを使う。パウンドケーキは母が新婚時代に買ったミニパン型だ。おかげで少し幅広くてぶさいくなケーキだけれど、また気が向いたら買えばいいやと思っている。

 

今週、2回つくったアイスボックスクッキーは、バターの箱に書かれているレシピを元に、1回目は庭のローズマリーと袋の底に余っていたクルミのカスを粉に混ぜた。

 

2回目は冷蔵庫に眠っている抹茶とまたクルミを使った。砂糖はいつもならきび砂糖なのを、てんさい糖に変えてみた。

ローズマリークッキー

 

抹茶やクルミを常備している家はあまりないかもしれないけれど、たとえば余っているプロセスチーズだとか、ティーバッグの紅茶を入れることもできる。

 

時にはおつまみ用にかった塩味のナッツでもそれはそれでおいしい。

 

ちなみにアレンジした結果、抹茶の方は表面が軽くひび割れした。大粒のクルミのせいかもしれない。今回は失敗までいってないけれど、家で食べるならそれすら楽しめばいいのだ。お腹に入れば一緒だもの。

 

 

今回見たレシピはこれ↓

www.meg-snow.com

 

 

おやつにおしゃれレシピは不要

 

知っておくべきレシピって、基礎の基礎でいいと思う。

 

基本のロールケーキに基本のクッキーなど全てのベースになるものだ。なぜなら、それにチョコや他の素材を混ぜたものはすべて基本を発展させたものだし、多くは「商品」として完成させなければいけない提供側の理屈だから。

 

例えば、ロールケーキのチョコ味が食べたいとき、ココア生地でつくるのもいいけれど、クリームにチョコチップを混ぜてもいい。

 

クッキーも同様で、食べたいものや家にあるものを入れたらいい。究極に手を抜くなら、チョコと一緒に食べるのもあり。

 

(「食べたら一緒」というと平野レミさんを思い出すが)

 

そう思ったきっかけはシナモンロール

 

シナモンロールが食べたいと思ったのだが、たくさん作っても飽きてしまう。そこで、「普通のパンにシナモンとハチミツとバターをかけたらいいじゃん」と思ったのだ。

 

よく考えたら、オーブンで一緒くたにして火を入れるより、後でかけた方が風味もいい。飽きた時も安心だ。

 

シナモンとはちみつ、バターかけパン

 

じゃあなぜシナモンロールというものがあるのか? というと、店で売るにはあと掛けする方がめんどくさいから。

 

起源は違うかもしれないけれど、どちらにしろ、「焼き上がった時点で完成されたもの」がシナモンロールだったのだろう。

であれば、アップルパイだってリンゴの甘煮とパイを分けてもいいわけだ。

 

第3者に公開されているすべてのレシピは「第3者の目を意識している」ということ。

 

見た目に美しい方がテンションが上がるし食欲もそそるので、なんでもかんで手を抜けば良いってもんじゃない。ただ、パンを切ってシナモンやら何やらをあと掛けしてもそれはそれで美味しそうに見える。

 

ただし、第3者に提供するのであればそうはいかない。レストランならまだしもパン屋であと掛けすると、工数が増えるしパッケージの工夫もいる。つまり経費がかかる。

 

そして見た目が同じだと買い物客に分かりづらい。あのグルグルを見ただけで「シナモンロールだ」と分かる視覚的インパクトが必要なのだ。

 

クッキーにたくさんの種類があるのはなぜか? というと、1種類ではお客さんの好みがあるし、飽きられると困るから。自分が売る立場なら、色んな種類を作るだろう。

 

しかし家で食べるのに毎日クッキーは作らない。たまに作るときに手のこんだものでなくても、手作りというだけで十分においしいのだ。そういう目で見ると、ほとんどのレシピ本は基礎があってそれの応用編がほとんど。ジャンルを細分化するほどにそれは顕著だ。しかし「基礎があればなんでもできるじゃん」となれば本として販売できない。

 

 

先日、チーズケーキ ブルーチーズ添えをつくった。これも同じ考えがもとになっている。

 

専門店で見たブルーチーズケーキを家で作ろうと思ったけれど、ワンホールもいらない。そもそもブルーチーズは高い。となった時に、「一緒に食べたらいいじゃん」と思いついたのだった。

 

こちらも火を通さない方が風味が良いに決まっている。

 

しかも量が調節できるので、少ない量でもめちゃくちゃぜいたく。これ、もっといえば市販品のチーズケーキをかってきてブルーチーズを添えたっていい。

 

なんだ、これで十分どころかめっちゃ贅沢やん。そう思ったら、全部基礎でいいなと思えた。

 

 
 
 
 
 
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ちなみにわたしはラーメンが大好物で、普通の袋麺やカップ麺のアレンジにも凝っている。

 

終わりに

もちろん高級なプロのお菓子もたまには食べたい。でもそれはたまにでいい。

 

どうしても作るのがめんどくさいときは地元の安い洋菓子店とかすごく好き。繊細さや芸術性は都会のケーキ屋には負けるけど、お手頃価格の手作りを食べたい、という時に重宝している。

 

普段の家でのおやつであれば、ささっと作ってささっと食べる。暇つぶしに実験してみたらおいしかった。でいいんじゃないかな。それは料理でもなんでもきっと同じだ。